絵具、絵画材料のホルベイン

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金 佳辰
 JIN Jiachen

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潮を裂き、 耳の海は青を滲ませる
アクリル絵具、パステル、綿布
194.0×162.0cm
2025年

ステイトメント

私はこれまで、日常の中にふと残る感覚や、言葉にならない情緒の揺らぎをドローイングで記録し、それらを絵画へと展開してきました。作品の中心にあるものは、「定まらないもの」や「記録しきれないもの」を、あえて不安定な素材と技法によって視覚化する試みです。

例えば、下地処理を施さないキャンバスに大量の水を引き、絵具を染み込ませていく“滲み”のプロセスは、感情や記憶が揺れ動くさまを映し出す装置でもあります。水が乾く過程で画面は変容し、意図を超えた偶然性が生まれる。そうした変化に身を委ねながら、自身の内側に沈殿する感覚と静かに向き合う時間を、私は絵を描くことで表現しています。

素材においては、消しゴムや綿布、透過性のある紙など、触れたときに身体感覚を喚起するようなものを好んで使用しています。それらは「描く/消す/重ねる」といった身体的行為を通して、感情の痕跡や記憶の濃淡を視覚的に蓄積するための器であると同時に、作品と見る人とのあいだに“滞留する余白”を生み出す媒介ともなっています。

私は、絵を描くという行為が、個人の感覚を“感情のアーカイブ”として編み直す行為でもあると考えています。曖昧で言葉にならない感情の断片を、にじみや層といったかたちで紙や布の上にとどめること。それによって、個人的な記憶が他者と共有される入り口となりうることに、静かな可能性を感じています。

今後も、個人的な感覚や身体の記憶を起点としながら、そこにとどまらず、より開かれたかたちで社会や他者と響き合うような表現を探り続けたいと考えています。

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赤を噛み締め、 甘くほろ苦い火を呑み込む
アクリル絵具、パステル、綿布、綿糸
240.0×12.0×7.0cm
2025年

奨学期間中の取り組みについて

奨学期間は、素材との関係性をあらためて見直しながら、制作の起点を個人の内面から外部へと少しずつひらいていく時間でもありました。

奨学以前の私は、身体の内側にうまれた感覚を素早く記録し、できるだけ他者から隔てられた場所で絵を描くことに安心を感じていました。とくに描く行為の出発点が「自身の内部で生まれた違和感」や「消えかけた記憶」であることが多く、それらを消しゴムや水性絵具の“擦れ”や“滲み”の質感に重ねるように、紙やキャンバスに定着させていました。

一方で、ホルベイン製品によってその感覚の記録がより柔軟になったことも確かです。水彩絵具の「滲み」や、筆先の反応の繊細さは、予測できない揺らぎや痕跡を画面に残すことに繋がり、逆にその“不確かさ”が、私にとって描くきっかけを生み出してくれるようにもなっていきました。

さらに、スカラシップによって新しい素材や技法に挑戦する余地が広がったことも、私にとって大きな変化でした。これまでは価格を最優先に、限られた選択肢の中で制作を行ってきましたが、本制度を通して、高粘度アクリルや蜜蝋、剥離剤といった、これまで試したことのない画材に触れることができました。それらは「描く」だけでなく、「削る」「消す」「溶かす」といった行為への意識を強く呼び起こし、画面づくりに対する感覚の幅を広げてくれました。水との相性や筆の反応、絵具の重なりの感触に対する注意がより細やかになり、今後の制作環境の設計にも大きな示唆を与えてくれました。

また、奨学後は他者との関係の中に制作のヒントを見出すことが増えました。たとえば、2025年夏以降に予定しているインドネシアのアーティスト・イン・レジデンスや、日本国内での小規模なワークショップの準備などは、その延長線上にあります。身体の感覚や記憶を起点にしながらも、それを共有可能なかたちに変換する方法について、実践的なリサーチと試みを繰り返しています。特にインドネシアでのレジデンスでは、「異なる風土や文化的身体に触れることによって、逆に自身の中に沈殿していた感覚や痛みの層が浮上してくる」という仮説をもとに、土地に根ざした身体性や記憶のずれを拾い上げる実験的な制作を構想しています。

このワークショップでは、インドネシア・ジョグジャカルタ滞在中の参加者、日本の参加者、そして私自身がそれぞれ1/3の画面を担当し、「描く/滲ませる/消す/重ねる」という行為を通じて、それぞれの身体感覚や記憶、感情の痕跡を視覚的に重ね合わせていきます。使用する画材は、アクリル絵具、色鉛筆、ソフトパステルなどの描画材に加え、消しゴム、剥離剤、洗浄剤といった“減法”的な手法も取り入れます。痕跡/喪失/消失/残存といったテーマを意識しながら、個人的な経験がどのように共有可能な視覚言語へと変換されるかを探る実践となります。

この共創作品は「感情のアーカイブ」としての側面を持ち、単なる一時的な成果物ではなく、今後もアジア各地を中心に継続的に制作を行いながら、記憶と感情の可視化を蓄積していく媒体として展開していく予定です。

奨学期間中に最も使用した
ホルベイン製品について

・アクリル絵具/アクリリック カラー[ヘビーボディ]

アクリリック カラー [ヘビーボディ]は、水との親和性が非常に高く、大量の水を加えてもごく少量の絵具が自然に溶け込みます。そのため、攪拌に手間をかける必要がなく、感覚の流れに沿って即座に筆を動かすことができ、制作のテンポを乱さずに済みました。特に、水を多く含ませた綿布の上でも驚くほどなめらかに絵具が広がり、滲みや乾きのタイミングが自然であることから、画面に偶発的で有機的な動きを生み出すことができました。また、この「偶然性」は私の表現において非常に重要な要素です。私は常に「滲み」や「揺らぎ」の中に、身体感覚や感情の微細な変化を投影しています。ホルベインのアクリル絵具によって、それがより柔軟で繊細なかたちで可能になったと感じています。

・水彩画筆/水彩用リセーブル 500C

筆先がやわらかく、水の含み具合と放出のコントロールがしやすい。細い線が求められる制作において、毛の繊細さと反応の速さはとても重要で、この筆はその点で理想的だった。濡れた布の上に細い線を描いても、乾いた後にその線がきちんと残っていることが印象的だった。これまでの筆では細線が乾く過程でにじみ、消えてしまうことが多かったが、この筆では線が“記録”として画面に残る感覚がある。また、製品紹介では「平行線を引くのに適している」と記載されていたこともあり、筆の形状にも興味を持って試してみた。実際に使ってみると、私は平行線ではなく感覚的な描画に用いたが、毛が束になって並んでいる構造のおかげで、水分の調整が非常にしやすかった。筆を寝かせて使うか、立てて使うかによって線の太さが大きく変わる点も面白く、1本の筆で多様な表現が可能だった。

・ソフトパステル

ソフトパステルは、その名の通り非常に柔らかく、紙や布に対してまったく引っかかることなく滑らかに馴染みます。直接描く際の滑らかな感触はもちろん、粉末を綿布に擦り込むように塗布する際にも、粉が固まることなく、自然なグラデーションを作り出すことができました。特に色同士が溶け合っていく過程が非常に心地よく、制作の中に癒しのような時間が流れるのを感じました。重ね塗りにも優れており、徐々に画面に深みが生まれていく実感があります。また、布に対する定着力も高く、描く・消す・再び描く、という行為を繰り返しても、画面に「残響」としての痕跡を留めることができます。

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ドローイング
アクリル絵具、パステル、綿布
50.0×36.0cm
2025年

プロフィール

金 佳辰 JIN Jiachen
2015年
天津師範大学絵画学部油絵 卒業
2022年
愛知県立芸術大学大学院油画版画 卒業

個展

2024年
君の影を塩漬け  L Gallery/名古屋
2023年
走る獣  Hidari Zingaro/東京
ママ、私の心臓の中には小さな象がいる  Gallery美の舎/東京
An elephant in my heart  Gene弥金圃廊×BACKSTAGE ART/上海
2022年
目の塩、耳の海  Prime Studio/名古屋

グループ展

2025年
ホルベイン・スカラシップ展 2025  ホルベイン アートスペース/大阪
星月夜2025 part-1  L Gallery/名古屋
2024年
OVERTURE  三越美術サロン/名古屋
Beijing Dangdai 2024 ArtFair  Inner Flow Galleryブース/北京
as Mountain as Feather  Inner Flow Gallery/北京
ASPHALT  Gene弥金圃廊/上海
BRYOLOGY:TO TOUCH  CHOW SPACE/上海
2023年
ART NAGOYA 2023  ARTE CASA ブース/名古屋
2022年
DRAWING COMMUNICATION 2022  沖縄県立芸術大学/沖縄
2021年
3331 ART FAIR 2021  愛知県立芸術大学ブース/東京
DRAWING COMMUNICATION 2021  カールスルーエ美術大学/ドイツ
2020年
絵の回路 ―設楽研究室の修了生、在学生による展示-  名古屋

受賞歴他

2025年
第24回アートギャラリー・ホーム 入選
2024年
第37回ホルベイン・スカラシップ奨学生
2023年
GEISAI#22 & Classic MADSAKI審査員賞/Holbein Art賞
2022年
第7回星乃珈琲店絵圃コンテスト 優秀賞
Gallery美の舎学生選抜展 準グランプリ
古川美術館F アワード 入選

その他

2024年
アッセンブリッジ・スタジオ 2024 展示&ワークショップ
港まちアートブックフェア 2024
2023年
アッセンブリッジ・スタジオ 2023 交流会
ポットラックバザールpresents 港まちブロックパーティーmeets みなと土曜市 ワークショップ