荒井 理行
ARAI Masayuki
like paintings #56
アクリル絵具、ジェッソ、キャンバス、パネル
181.0×227.0×3.3cm
2023年
Photo by 木奥 惠三
ステイトメント
個人が持つ主観は、現実世界をどのような姿として捉えているのか。私たちはそれぞれ独立した主観的世界を形成しながらも、社会集団の中で機能する共通の主観性を持ち合わせている。主体が他者の存在の反映によって成り立つと言われているように、主観もまた外部からの影響を受け、内とも外ともつかない入れ子構造を形作っている。この幾重にも重なる相互作用は、自身が身体を置く現実という場に対して、私たちの想像や認知を常に揺さぶる軸ズレを起こしていると言えるのではないだろうか。
私はインターネットから他者が撮影した(と思われる)写真を拾い集め、それをプリントアウトしたものをキャンバスに貼り、そこに写らなかったフレームの外を想像で描き足す方法で絵画を制作している。
筆による視覚言語を廃し、注射器を用いて絵具を垂らす描画方法は、絵具は絵具でしかないという物質的側面と、イリュージョンとしてイメージを宿す概念的側面の両方を兼ねることを目的としている。
画面の中には、この絵画の始まりとなった写真の“痕”がある。私は写真の外側を想像で描き足した後に、その写真を剥がして捨ててしまう。他者の視点から始まった絵を、自らの視点にすり替えていくように。鑑賞者は私の視点の元となった写真を知ることはできないが、私もまたモチーフとなった写真が何であるのかを真に理解する事はできないという点で、自らの視点と他者の視点を行き来し続ける。
イメージ(写真)にイメージ(想像)を重ね、イメージ(絵画)を作り出す一連の所作により、多重のイメージは一度は絵画として定着をみるが、鑑賞者の存在によってそれは再び宙に放たれ、新たなイメージ(像)として結ばれていく。この不安定な移ろいの連鎖の中に、私は希望に似た何かを見ている。
like paintings #55
アクリル絵具、ジェッソ、キャンバス、パネル
181.0×227.0×3.3cm
2022年
Photo by 木奥 惠三
奨学期間中の取り組みについて
奨学期間中の取り組みは、個展に向けた制作が主なものだった。初めて海外のギャラリーで展示をするにあたり、従来の手法に則ったいくつかの傾向が作品に期待される状況にあった。そのようなプレッシャーとタイトなスケジュールから実験的な動きは控えねばならなかったが、それでも少しずつ作品に変化を与えていきたいという目論見はあり、普段使っていない絵具を制作に取り入れる事はシンプルな形で刺激となった。
また期間中は引っ越しとそれに伴う共同スタジオの退去という高負荷なイベントが挟まり、環境の変化は著しいものだった。今もまだ未整備のままの倉庫でこうして文字を打っている。この新スタジオのトタン外壁を叩く激しい雨音で、タイピングする音も聞こえない。ここには書いていない事も含め多くの出来事が集中したこの1年は、人生の転換期と言っても大袈裟ではなさそうだ。
近年、技法の変化により油絵具からアクリル絵具へと画材を変更し、必要とする絵具の量も増大した。当時はホルベインの製品はコストの問題で選択肢から除外せざるを得なかったが、今回ついにアクリリックカラー ヘビーボディが330mlのボトルで揃い、その色彩がもたらす表現の幅を知るに至った。もちろんホルベインの絵具が無くとも絵を描くことは可能、そう、可能ではあるのだが、この絵具の導入がもたらした変化を鑑みれば、コストの問題が以前にも増して深刻なものになったとしても後戻りする事は出来そうにない。画材に対する欲を刺激してくれたこの奨学期間に感謝すると共に、また一つ追い詰められてしまったようでもある。
何はともあれ、これまで所属していたアートコミュニティからも離れてしまった今、発表に関してより一層の主体的な活動の展開を模索していかなければならない。ここしばらく目先の事をどうにかするので精一杯だったが、自分がどのような態度で活動を続けていきたいのか今一度考える必要があると思う。のんびりしている暇はないとしても、長期的な展望を持ちながら走り続けていきたい。
like paintings #59
アクリル絵具、ジェッソ、キャンバス、パネル
91.2×117.0×3.2cm
2023年
Photo by 木奥 惠三
奨学期間中に最も使用した
ホルベイン製品について
・アクリリック カラー[ヘビーボディ] 330ml
奨学期間中は、ヘビーボディ全113色からパール系とルミナス系を除いた合計95色を330mlのボトルで取り揃えさせてもらった。これまでアクリル絵具は他社製品を主に使用してきた為、ホルベインの絵具を十分に試したのは今回が初めての機会となった。
前提として、現在私は注射器を使用して絵を描いている。針先から押し出された絵具は立体的な厚みをもって画面に落とされる。アクリル絵具は乾燥前の濡れ色の時点では鮮やかな発色をしているが、乾燥が進むに従い色彩が沈み込んでしまう特徴があり、注射器では薄塗りのように下層の色を透過させる発色方法は使えないので、絵具単体の発色に多くを期待せざるを得ない。これまでは沈み込みを想定した明るめの調色や、視覚混合という光学現象の応用を試みてきたが、明度を上げると彩度が犠牲になる事が多々あった。この色彩の沈み込みについてはヘビーボディにも同様の現象が見られるものの、他社製品よりも鮮やかな発色に着地できている。またその発色の良さが絵具の量感に締まりを与え、立体感の増大にも僅かに寄与しているように感じられた。
私は絵を描く工程で絵具の層を物理的な前後関係として区別し、複数の層に分けて制作を進めている。各層の違いをより明確にするために注射器の針先を変更している他、メディウムの添加やアクリルガッシュの併用など質の違いにも注意を払ってきた。ヘビーボディは、その発色の良さから多層化が進む絵画空間に対して新たな空間の位置感をもたらしており、それは以前から使用してきた他社製品とホルベインの絵具を画面内で共存させる事でより効果的なものとなった。他社製品との比較の中で画材それぞれを相対化できた事は今回の大きな収穫であり、欠点として捉えていた色彩の沈み込みも、後退する層として絵の中に組み直せる可能性が出てきた。
自らの表現に最適な画材を導き出すには膨大な時間が必要だが、時に画材が表現へと導いてくれる事もある。過去にはアクリル絵具の質感を嫌悪した時期もあったが、今の自分の表現にはアクリル絵具が最も適していると感じる。今にして思えば、アクリル絵具の導入時にいきなりホルベインの絵具を使っていなくて良かったのかもしれない。他社製品を使い続けてきた経験が、どのようにヘビーボディを使うべきか直感的な理解を促してくれた。より遡れば、長きに渡り油絵具を触ってきた事もこの感覚と無関係ではないのだろう。これからも時間をかけながら、画材が教えてくれることを漏らさず掴んでいきたい。
プロフィール
荒井 理行 ARAI Masayuki
個展
グループ展
パブリックコレクション
受賞歴他