絵具、絵画材料のホルベイン

スカラシップ > スカラシップ・レコード > 第35回奨学生レポート > 第35回奨学生のレポート③ 寺内 大登

scholaship_v35_03.png
寺内 大登 
TERAUCHI Hiroto

scholaship_v35_03a.png

無題(目をつぶれば見えなくなるもの/紙、みどり、蝋)
アクリルガッシュ、紙、油彩、蜜蝋、鉛筆、キャンバス
162.0×142.0cm
2022年
Photo by Yoshiro Masuda

ステイトメント

私は絵画を「図像」と「距離」の二重の構造であると仮定した。「図像」は、私たちが「像」を認識するごとのその様である。多くの絵描きは、それに基づいた下書きやメモをすることでそれを捉え平面に写そうとするだろう。それに対して、その都度の行為を「距離」とする。現在進行形でしていることとしていないこと、その表れや由縁や感覚的反応、見ること、何かについて思うこと、わかること、など。例えばキャンバスと筆先が触れ合ったり離れたりする様に今の営みは「距離」として可視化されるだろう。

この視点でいうとき、一般的に私たち作者は「像」のことについて「距離」を使用して言おうとしているのだろうが、このことに気をつけると「距離」を「像」の様に魅せる努力に実感を感じなくなっていった。例えば「この部屋」という一つの目的があるとき「この部屋を作ること」はよりそれらしく目的について再現する技術であるが、「この部屋」と「この部屋の図面」の関係があるように、目的を思って「したこと」という変換が起きていることのみが事実だと感じた。「この部屋の図面」は、目の前にあれば紙一枚に線の記号であり、絵そのものの状態である。そして、それは「この部屋」があるということの影響下で現れた図像である。
(「部屋A」という部屋に「部屋A」という張り紙を貼ることの「部屋A」と「部屋Aという張り紙」/「部屋A」という使用禁止の部屋に「使用禁止」の張り紙を貼ることの「使用禁止の要因」と「使用禁止の張り紙」/「使用禁止」の張り紙のテープの跡を落とすためにした糊落としの「目指した状態」と「結果」)

同じように「像(動機や目的)」があることの体感は、円や切り取った紙、固有色などに置き換えることにした。そこに対してのみ「距離」をとることで、私は描くという行為を得ることが出来た。「絵を描く」と言う不可解な出来事から一歩離れると、その行為は「距離を図る」ことそのものであり
(「この部屋の図面」の作者が「この部屋」の絵を描いて「この部屋の図面」が出来たように/「この部屋の図面」の作者が「この部屋の図面」を描いたことによって「この部屋」の絵が出来たように)
二層の行為「図像を表す=距離が図られる」「距離を図る=図像が現れる」ことが明確にリンクし、ただ結果のみが突っ立つ平面が在るだろう。
(「この部屋の図面」は「この部屋」を描いていない「この部屋の図面」である/「この部屋の図面」は「この部屋の図面」で「この部屋」を指している)

つまり「在ります」と言う状態が、「在ります」という状態でいることがわかる。

(それは目をつぶると見えなくなるもの)

奨学中の取り組みについて

私は特に意識して自分の技法を作っていた方では無いが、自分の立場や関わり方、絵に対しての認識に強く影響され選択しているように思う。例えば、学部四年から大学院一年目頃までは、「散文的に影響し合い、ある像と支持体の間にある、絵の発生条件としての機械」という認識で絵と関わり、描くというよりは出力するイメージで、主に刷毛を使い画面上で複雑に混色しながら叩いて描いていくような技法を使っていた。それに伴い使用する画材は適度に乾燥が早いオイルや、描き出しから仕上げまで、層をあまり厳密に気にしなくても描けるペインティングオイルを使用していた。

それ以降、大学院一年の後半から現在は、基本的には絵に対しての考えは変わっていないが、より「像」と「描く行為」、またそれによる絵の表れといった具体的なやり取りに注目したことによって、使用する画材や技法も変わってきた。技法としては、出力するイメージからより即興的な線や絵具の色や厚みの重量感を重視する描き方を試すようになった。それはより再現的でないことを意識し、絵画空間ではなく、起ったことから受けるイメージやテクスチャに関心があることにも繋がっている様に思う。

そういった大きな意識の変化の過程で受けた、今回のホルベインのサポートとほぼ同時期に始めた仕事が、アクリル絵具による色面に蜜蝋を含んだ油絵具によって描くことだった。それも絵具の一つ一つ付いているという現実感によって図像が構成され、それが一つの方向性として起きている結果を求めていることに由来している。

そういったこともあり、アクリル絵具やその周辺のメディウムなどの素材に興味が移行していく自然な流れの中だったので、あまり大きな変化は無かったように感じていたが、今回のサポートがあったことにより、興味のあるタイミングで、かなり沢山の選択肢が実際に手にとって得られたことは重要であったように思う。普段何かを試すときは、使い方や用途をネットで調べて、吟味することに時間を費やしてしまうが、「何か面白いことに使えそう」「こんな素材があるのか」という気軽さで手元に置いていつでも試せる準備が整えられたことは大変恵まれていると感じる。

また、素材や色彩の選択肢が増えたことによって、今はより以前より「素材の色」や「色彩の質感」によってできることがもっとあることに気持ちが向かっているように感じる。今後は頂いた画材を基点に、それらが当然の工作になるような作業を模索したい。

scholaship_v35_03b.png

wax on paper
アクリルガッシュ、油彩、蜜蝋、紙
76.0×52.5cm
2023年

奨学期間中に最も使用した
ホルベイン製品について

今回は意識的にアクリルガッシュを使用した、初めての機会であった。始めは、油絵具とは全く違う、誤魔化しの効かない無機質で独特な厚さのある質感に大変戸惑った。混色も、ある程度厳密にやらないと簡単に別の色になったり、隣に置いたら思った以上に違う色だったりと、ほとんどこれまで大雑把に、油絵具と豚毛筆と既製のペインティングオイルなど、初歩的な画材しか使わずにやってきた自分には扱いづらい素材でもあった。だが油絵具には無い、アクリルガッシュの独特なマットな質感は今の自分の仕事にとって必要だと感じたこともあり、今回中心的に提供していただいた。

実際使ってみて、当たり前に言われていることだがアクリルガッシュの色彩はやはり鮮やかで、隠蔽力の高さも再確認した。特に紫系の色味は、自分としてはどうしても油絵具では発色が弱く、透明感も強すぎるのであまり使いこなせなかったが、すでに商品としてたくさんの色味が用意されているので楽しかった。

前にも書いたように、最初興味があって試す段階では、普段の制作であれば色やサイズを慎重に選ぶところでどうしても限られた範囲でしか手に取れないが、今回サポートをいただいたことによって普段の自分では手に取らない色味があることで、配色の時の前提が増え、よりスムーズな制作との往き来ができるいい機会だった。例えば、茶系の絵具は、油絵具だと少し古典的なイメージの強すぎる色で、なんとなく手に取ることがなかったが、アクリルで試したことによって、気になる色の一つになった。これは、色彩それぞれが均一に整った絵具であり、色も濁らないアクリルガッシュならではの経験のように思う。

また、以前から関心のあった蜜蝋も今回中心的に提供していただいた。蜜蝋は歴史的にも絵画や造形の素材から日用品まであらゆるところで人間と身近にあった素材のようだが、今の日本では素材として意識していないと蝋という素材には気がつかないように思う。画材としても売っているが、あまり使い方を調べても明確なものは出てこず、扱いにハードルが高い印象がある。最近の制作では、テレピン等と混ぜたペースト状にしたものが妙に生っぽくて気に入って使用してみたが、時間が経つにつれ痩せて硬化していき、今自分が主に使っている紙の支持体では簡単に剥がれてしまい相性が悪いことがわかった。他に、ワックスペーパーにしたり、転写に使ったりなども試して、気になる効果が出たので今後も実験を続けてみたい。

プロフィール

寺内 大登 TERAUCHI Hiroto
1999年
東京生まれ
2021年
武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻 卒業
2023年
武蔵野美術大学大学院造形研究科油絵コース 修了

グループ展

2023年
2022年度武蔵野美術大学卒業・修了制作優秀作品展  武蔵野美術大学/東京

受賞歴

2023年
武蔵野美術大学修了制作展 優秀賞
2022年
第35回ホルベイン・スカラシップ奨学生
2021年
武蔵野美術大学卒業制作展 研究室賞
長亭GALLERY展2021 入選
2020年
シェル美術賞2020 入選