絵具、絵画材料のホルベイン

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中田 さつき 
NAKATA Satsuki

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逃げつつある
油絵具、キャンバス
93.3×138.5×4.0cm
2023年

ステイトメント

「最後の晩餐に何を選ぶか」という議題を出せば、みな思い思いに口を開くでしょう。

私が描いているのは、そういったことなのかもしれない。自身の死に際を、そして、その後の様子を知りたいのだ。
きっかけは、隣人の死だった。清掃の音、ビニールの音、今までとは違う知らない音。それらは、妙な説得力を持って私の部屋に流れ込んだ。カーテンが揺れてたどり着く風、隣人の名残。死を意識するには十分すぎるほど、生々しい。

それ以来、死というものに強くひかれている。それは、恐怖と憧憬となって、私の頭を取り巻いた。

死に際に見る夢は何でしょう、どんな景色を思い出すのでしょう。植物はどこまで大きくなっていくのだろうか、布団はフワフワのままなのか、食器は、靴は、アレヤコレヤ。溢れんばかりの疑問の波も、生きている限りは答えが出ない。無論亡くなった人に「どのような様子でしたか」と伺うわけにもいかないので、如何せん八方ふさがりである。

死にかけ、から死までの期間と、その後についての模索。思い出すであろうこと、物の行方、など、こうなってゆくのではなかろうかという、想像による産物を絵に残している。言ってしまえば、ただ「それだけのこと」である。自身の絵の中では、思い出すであろうことも、物の未来も生も死も、同じ土台にあげている。てんでんバラバラなシーンが部屋を覆う。いわゆる走馬灯ってこんな感じかしら

兎にも角にも、何故描いちゃうのかって、誰も実体験を語ることができないことだからだろう。それを知ることができていれば、こんなに固執して描く必要などない。

死というと、暗いだ何だでどうもネガティブなイメージに捉えられやすい。それ一辺倒になりがちなのは、何故でしょうか。私が思うに、劇的に捉える必要もないし、無下に扱うことでもない。誰もが必ず迎える未来の出来事ですから、「それだけのこと」よねぇ、と。

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角の取れた星
油絵具、キャンバス
33.3×53.0×2.0cm
2023年

奨学期間中の取り組みについて

奨学期間中、私は色々なことを知った。絵具のこと、色のこと、文章を書くこと、自分自身について。まず、制作面では、自分が思っていた以上に、色にこだわりを持っていたことを知った。

奨学期間前に持っていた絵具といえば、比較的安価な絵具がほとんどで、その中で絵が作れるのならそれに越したことはない、というスタンスであった。高価な絵具に興味があったとしても、そんな気軽に手を出せるわけじゃない。だが、画材提供により、試してみる、という行為を気軽に行えた。初めて触る色、あまり好みじゃなかった色、似ているけど微妙に違うから使い分けたい色、など。奨学期間中は、知らなかったことを体感する面白さがあった

色に興味を持つようになり、自分が思っているより好き嫌いや、合う合わないが多いことも知った。
この奨学期間というのは、私にとっては、自分の絵や考えを知るための時間だったように思う。画材を沢山使えることは勿論有意義な時間である。しかし、ただ使うだけになってはあまり意味がない。色々な気づきや驚きがある中で描いていると頭がパンクしそうになるが、それを一旦引き止めて考えさせる役割として、レポート提出の存在もあると思う。例えば、用具ひとつでも、以前は穂先を触って「この感じ」だから「こういう筆跡だな」という感覚的な使い方だったのが、毛質の特徴を知ることで、なぜこの筆跡や描き心地になるのかという理由を理解でき、文章にすることによってより明確に違いがわかるようになる。とても面白いことだと思う。

また、今まで自分の制作について、ここまで踏み込んで言葉にしたことはなかった。言葉にできないから、というよりは、どうしてその必要があるのか、誰にも明かさないままだって構わないでしょうよ、と考えていた。しかし、レポートという形で文章にすることで、現在の制作や考え、ごちゃごちゃとしたまま放っておいた過去の制作方法など、改めて向き合うことができている。

片付けをするみたいに、視界が開きつつある。

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向こうの骨
油絵具、キャンバス
35.0×27.0×2.0cm
2023年

奨学期間中の取り組みについて

3回にわたる画材要求の中で、初めて使用したものを取り上げていこうと思う。

画筆のKMシリーズのKM-B、BG-Fの2点を挙げたい。理由としては、今まで画筆にこだわりなどないに等しかったからである。アクリル画の時は穂先が擦れて根元だけになるまで使っていた。なんとなく、筆を新調した時は突然他人が介入してくるような妙な感覚になる。それが億劫だった。だが、折角スカラシップという素敵な機会をいただいたので、多少嫌な気持ちになるのは仕方がないとして、試しに使ってみようという気になり、筆も色々と試してみることにした。

KM-Bは、穂丈の短さが良い。変にぐにゃぐにゃしない。硬毛でも、穂丈が長いと穂の弾力に翻弄されてしまうのだ。穂の根元には力が入っているのに、穂先はどこかに行ってしまっているような感じだ。KM-Bは、穂先全体に神経が通う感覚で安心できる。また、柔らかくゼリー状にしたメディウムと絵具で描く際、筆跡が思い通りに残る。力まず描く時のタッチと、画面を擦るように描く時のタッチ、どちらも使い分けがしやすい。この筆一本では、画面が均一になりすぎてしまうので、色々なタイプの筆を使用するが、使っていて心地良いのはKM-Bである。

BG-Fは、絵具含みが良い。ちょっと厚みを持たせてウニュッとしたタッチが欲しい時はこちらを使用する。KM-Bよりも表情が柔らかで優しい。画面が激しくなりすぎず、筆の運び方によっては怪しさも出せて面白い。また、硬毛ほどの力強さはなく、軟毛の頼りなさもなく、本当に使いやすいと感じている。

最後に、筆を色々と試す上で感じたことがある。穂先も十分に大切だが、軸の部分も重要だと感じた。水彩用リセーブル500Hを使用して気がついた。持った時の重さは、こちらが断トツで良い。他の筆よりも少し重みがあって、手にしっくりくる。穂先は毛量や硬さがあまり好みではなかったので使用頻度は少ないが、筆の持ち心地は一番丁度良かった。ヴィジュアル的にも、軸が透明だととても綺麗だ。持っていて気分が良い。全ての筆の柄をクリスタル軸にして欲しいくらい。

今回、絵具ではなく画筆に注目したのは、初めて使用した製品について改めて言葉にして自身の中でも整理しておきたかったからだ。今までの「使わなきゃ」という気持ちから、「試してみよう」という気持ちで使用することができ、自身の考え方が広がる良い機会になった。

プロフィール

中田 さつき NAKATA Satsuki
1991年
東京都生まれ
2012年
多摩美術大学美術学部デザイン情報学科メディア芸術コース 中途退学
2014年
女子美術大学短期大学部造形学科美術コース 卒業
2016年
武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻 卒業
2018年
武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース 修了

個展

2023年
阿呆のまま闊歩  アートスペース88/東京
2022年
自切の際|中田 さつき  space2*3/東京
ビニール・アパートメントの一室  コート・ギャラリー国立/東京
2020年
中田さつき 誰かのカーテン  コート・ギャラリー国立/東京
Roppongi α Art Week 2020 中田さつき展  605画廊/東京

グループ展

2022年
絵画展 東風  数寄和/東京
取扱作家小品展  space2*3/東京
2021年
取扱作家小品展  space2*3/東京
2020年
取扱作家小品展  space2*3/東京
2019年
第10回Prologue展  GALLERY ART POINT/東京
2017年
行进中的——日本青年艺术家群展  言午画廊/上海
“化物conversion” 文懿萱 &中田SATSUKI 双个展  亦安画廊/上海

受賞歴他

2022年
第35回ホルベイン・スカラシップ奨学生
2018年
シェル美術賞2018 新藤淳審査員賞