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ホルベイン・スカラシップ成果展 2023 開催レポート

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ホルベイン・スカラシップ成果展 2023 開催レポート

2023年5月9日から20日まで、第34回ホルベイン・スカラシップ奨学生による成果展が、N&A Art SITE にて開催・終了いたしましたので、その開催レポートをお届けしたいと思います。

この展示は、第34回ホルベイン・スカラシップにて奨学生に認定された7名(青山夢・熊倉涼子・野原万里絵・濱口綾乃・濱元祐佳・深田桃子・山﨑愛彦)が、ホルベインの絵具・色材・用具などをメインに用い制作した作品を展示したものです。約1年間の奨学期間により、作家・作品に変化が見られ、奨学制度の成果としても、とても素敵な展示となりました。

会場にて行われた、作家による各々の作品についてのトーク内容もここに記録します。

出展作家

青山 夢
講評会 審査員

(左から)『水を飲みにきた山羊』、 『Hints of happiness』、 『獣を縫う』

今回の作品では、人間が身に着ける日常品と、人間ではない(獣)モチーフをミックスさせ、今を感じる現代の生活を描きました。

コロナウイルスによる世界的パンデミックによって移動を制限された人間に対し、自由に動き回れる獣に”すごくいいな”と思うものがあり、そこから獣に可能性を感じるようになりました。県境や国境、原発事故が起こった所も関係なく、自由に行き来するその姿から、いろんな道を繋げているのは獣なのではないかと思うようになり、以前は人間をモチーフにして描くことが多かったですが、獣をモチーフにしたり、毛皮など獣自体に描いたりすることが多くなりました。

『獣を縫う』では、自由に動き回る獣と、なかなか走り出せない、自由に動き回れないハイヒールをモチーフに制作しました。人間のどんどん自由に動きたい衝動や、動けないもどかしさといったものを表現しました。


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『水を飲みにきた山羊』ではウサギの毛皮を使って、表は山羊、裏は牛を描き、地球儀の地球があった部分に磔の状態にすることで、人間の自分勝手な感情によって処分されたり、家畜にされてしまう動物を表現しました。

『Hints of happiness』では、アニマルカーペットをモチーフに、実際に綿を詰め、縫い付けて描いていったのですが、この時期からすごく縫うことにはまりました。「描く」は下書き通りに描くと自分の予測とさほど変わりませんが、「縫う」は急に気が付くと絵が絞られたりして、無意識的に狙っているような、ミックスされているところが面白いと思い制作していきました。

私は神話学的な思考で現代の生活を描いており、山形の大学にいた頃、作品を作るにあたって、お寺やお家などによく取材をしていました。その中でシシ踊りというのは日常によくいた鹿を観察し、鹿の踊りを真似てシシ踊りが生まれたという話を聞き、日常に鹿がいたからシシ踊りが生まれたのであれば、私の日常の中にあるものは何だろうと思い、実家にいる犬や日常にある物をモチーフにして今回の作品を作りました。

熊倉 涼子

(左から)『Humans』、『Milky Way』、『Solar Eclipse(Transient Images #19)』

私は、歴史上にあるイメージを元にモチーフを作り、絵画を描いています。画面の中では、ラフな線や写実的な描写などを組み合わせ、三次元的な表現と二次元的な表現を混ぜ合わせています。

今回出展している作品は「Transient Images」というシリーズで、「transient」には「一時的な、はかない、束の間の」といった意味があります。このシリーズの作品は、何枚かの図像を層にして、上層の図像はかき消え、下層が見えるといった構造になっています。だいたいの作品は、下層の方に時代の古いイメージを配置しており、例えば『Milky Way』のまわりの青い部分は天の川の現代写真が上に重ねられていて、それがかき消されて下層が見えてくるように描いています。

ここにある作品のテーマはバラバラで、右から「天の川」「日食」「人間の起源」になります。 簡単にモチーフを説明しますと、「天の川」は織姫と彦星のお話だったり、「milky way」の語源となったギリシャ神話のヘラとヘラクレスの物語を描いたティントレットの絵画、18世紀のドイツの学者による天文図、あと現代の天の川を撮った写真をモチーフにしています。


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「日食」は、日食は昔ですと、すごい不吉なこととされていて、何か悪い動物とかが太陽を食べてしまったことが原因で起こるという話が多くあり、その動物をモチーフにしました。影のように描いているところは北米のコヨーテ、針金で作っているモチーフは南米のジャガー、緑色のところは古代エジプト神話のアポピスという蛇です。

「人間の起源」に関しては、アダムとイブの話を描いたルーベンスの絵画だったり、スペインやフランスの写本の挿絵、針金の部分は進化論が出てきたばかりの初期の進化の図、青い部分は現代のイメージとしてDNAの二重螺旋になります。

このような作品を描くのは、無意識の中で当たり前に思っていることや、ずっと世界はそういう形だっていわれてきたことが、本当なのかっていう、何か漠然とした疑念があるからです。歴史上に残っているイメージというのは、人が世界を理解する過程でいろいろと試行錯誤してきた痕跡で、昔のものほど科学が発展した今だと荒唐無稽に思えたりするけれども、それと同じように今私たちが信じていることや常識も将来変わったりするかもしれないという想いが根底にあります。

野原 万里絵

①『九段下より01』、②『引力02』、③『青森の石(灰色)』、④『漁業について』、⑤『農業について』、⑥『風の音』、⑦『明日へのまじない』、⑧『漂流物』、⑨『方角を示す形』、⑩『引力03』、⑪『石積みに刻む』、⑫『漂流物02』、⑬『青森の石(桃色)』、⑭『共生』、⑮『重力』

私は普段、大型の絵画を芸術を専門としない方やお子さんと協働で制作をしていますが、その手前の本当に個人的な、次の作品をどうするかとか、悶々とした気持ちとか、何かそういうものをこれまでボールペンを使って小さなドローイングノートをずっと描いていました。それをもっと大きくしたいとか、ドローイング自体のサイズをノートに縛られずに紙のサイズもどこまでも大きくできるように何かできないかと、ずっと思っていた中、ホルベイン・スカラシップでホルベインのアクリリック インクという絵具を使い、耐久性があったり、顔料が濃かったり、使いやすさもあり、それですごくドローイングの幅が広がったので、今回はそのシリーズの作品を展示しました。

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各作品はいろいろな作品の構想という形で、全てが何かの下絵というわけではないですが、言葉で話して説明するというよりも、手で考えていくといったことを重視して、先に手が動いて後に思考が伴ってくるということが、私のペインティングを描く上で重要な工程になっています。

その手前のドローイングをいかにバリエーション豊かに描いていくか、何かに向けて描くということを重要視せずに、本当に自分の世界だけでやっていくという時間が自分の中に大切なものものとしてあり、今回はその時間の蓄積みたいなもの、いろんな作品の思考が詰まっているという形の展示にしています。

何人かに額をどのように選んでいるか聞かれましたが、額自体はかなり前から自分でコレクションしていて、友達とドローイング交換を普段していたこともあり、額をたくさん持っていました。自分のドローイングをこういう風に展示したいなと思ったら、先に額を選び、自分のドローイングを額に合わせて作るという流れが、自分にはかなりフィットしていて、絵の方向性を決めたら、額を先に決めて、マットの幅も決めて、全部のバランスを決めてから描くようにしています。

何かそうすることで、ノートの描き方とは少し違い、紙だけでは終わらないような見せ方だったり、飾りたいという気持ちが強くあるので、空間を意識しながら絵画を作っていくことができるようになりました。他にも、彫刻を作ったりしていますが、本当のスタートはこのドローイングからできている、というような展示になっています。

濱口綾乃

①『moment (ずれる)』、②『Over lap』、③『overlap7』、④『つぎつぎ (piece)』、⑤『moment (ゆらめく)』、⑥『moment (growing up)』、⑦『檻の鍵が外れていることに気づく』、⑧『moment (ゆらぐ)』

私は主に植物をモチーフとして描いています。初めて植物を描くきっかけになったのは、モチーフが持っているイメージに、自分の絵画が変な風にイメージを付けられてしまうことがすごく嫌で、あまりそのものに固有のイメージがない植物だったら、もっと自分の表現したいことを見せることができるかなと思い、植物を選びました。

描いていく時に、自分の中で興味のある形や植物が出てきて、その元になるたくさんの植物を見て、こういう絵にしようと考えてから本番にいきます。身体的なストロークや動きで画面を構成し完成させていくのですが、集中して葉っぱを描いていると、いつの間にか隣にある葉っぱを描いていることがあり、自分が意図しないところで見えてるものがちょっとずつずれていくような感覚、イメージでいうと服を着る時ボタンを掛け違うような、あれ?って見ることに対しての感覚的なズレを意図的に画面上に出したいなと思っています。

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最近の作品は、睡蓮をテーマに描いています。睡蓮じゃない作品も今回展示していますが、今は睡蓮がすごく自分の描きたい表現と合っているなと感じていて、ホルベイン・スカラシップに選ばれてからはずっと睡蓮を描いています。

スカラシップ前はあまり色を使わないで、色数を制限して描いていましたが、絵具や筆など画材を提供していただいたことで、今までは透明色ばかりを使って不透明の絵具をほとんど使っていなかったですが、『檻の鍵が外れていることに気づく』は制限をあえて緩めて、不透明の絵具を使って描いてみましたが、不透明な絵具でも自分がしたい表現を損なわずに描けるなということに気付けて良かったなと思います。

濱元 祐佳

①『記憶に沈む』、②『gift.』、③『空を散歩♪』、④『エンゲージ・バンド』、⑤『メメント・モリ』、⑥『訪問者』

私が制作で主なモチーフとしているのはぬいぐるみです。ぬいぐるみをモチーフに愛着や幼少期のトラウマなどを描いています。

ぬいぐるみをモチーフとして選択している理由に、一つはぬいぐるみが持つ本質的な不気味さに魅力を感じ、惹かれたからです。ぬいぐるみはもちろん生き物ではないですが、不思議と生命感みたいなものを感じます。ふわふわとしていて、色鮮やかで暖かくて、可愛らしいイメージがありますが、瞳をじっと見ていると、ちょっと怖いとか、暗いとか、簡単に捨てられないイメージもあり、ぬいぐるみが持つ不思議な生命感と、その中にある暖かさと冷たさのギャップに魅力を感じています。作品でぬいぐるみを表現する時も、可愛らしさと不気味さのバランスをうまく入れられるようにしたいなと思って描いています。

もう一つは“どうしてぬいぐるみをずっと捨てられないのか"という疑問を持っているからです。私は実家にぬいぐるみが100体以上あり、今まで1度も捨てたことはなく、決意して捨てても親が回収して戻ってくるということがありました。多くの人は、子どもの頃に持っていたとしても、ちょっとずつ手放されていくものですが、私にはそれがどうしてもできませんでした。実家に帰る度に大量に残っているぬいぐるみを見ると、可愛いけど、とても恐ろしく感じます。幼少期に一緒に遊んだ日から記憶も一緒に吸い込まれてしまったように重く、足かせのような、いつまでも離れてくれない存在のように思いました。

捨てることも大切にすることもできない自分に嫌悪感を覚え、なんでぬいぐるみを捨てられないのかと振り返ってみたところ、それは自分自身による何か埋められない心の溝みたいなものを満たすために、無意識的に大量の物で埋めようとしていたのではないかと思いました。私はそのような表面上では満たされているように見えて、でも本当は心の中では真に満たされてない不完全なものに興味を持っいて、それを絵画で表現できたらいいなと思っています。

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スカラシップに選ばれる前は油絵で、人物が大量のぬいぐるみに埋もれていたり、囲まれたりする作品を何枚もずっと描き続けていました。大量のぬいぐるみは過去の記憶を表し、それらに埋もれている人物は過去の記憶に囚われてしまって、盲目になってしまったり、身動きが取れなくなってしまっている姿を表現しています。

先ほども話した通り、物量としては満たされてはいるけど、心は満たされてない。満たされたいって追求する姿って他人の目から見ればちょっとおかしいように見えるけど、当事者にとっては生きるためには止められないものです。その姿はシュールではあるのですが、また人間的で愛おしく感じます。そういうものをぬいぐるみの質感や使用感をリアルに表現しながら、伝えていけたらいいなと思って描いてきました。

右側にあるアクリル画はスカラシップ奨学生に選ばれてから描き始めた作品です。下地にモデリングペーストの一番粒子の粗いエキストラスコース パミスを全面に塗り、乾燥後、上からアクリルで着彩していった形です。偶然うまくいったという感覚だったのですが、ざらざらした感じが意外と古いぬいぐるみの質感に似てたり、ちょっと壁画っぽくてノスタルジックな感じにできたかなって思いました。下絵はあまり描かず、線を直感的に、またゆがめた線も入れたりと、のびのびと描いていました。油絵だと下絵をきっちり決めて、細かい作業をずっと続けていくので、視野が狭くなっていく感じがありましたが、アクリルに素材を変えたことで、いろいろな支持体に使えたり描けたりできるなと、視野が広くなっているなと思いました。

今回、かなり雰囲気の違う作品を展示しましたが、何か違いとか、変化を一緒に見てもらえたら嬉しいなと思います。

深田 桃子

(左から)『温度の恩恵』、 『smooth』、 『漂流』、『指相撲』

私は、関係性だとか、そこに介在しているコミュニケーションだとか、コミュニケーションによるエラーみたいなものに興味があり、人物をモチーフにした絵を作っています。ちょっと分かりづらいかと思うので、軽く作品の話をさせていただければと思います。

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『指相撲』という作品では、指相撲をしている時に起こることにすごく興味があって描きました。指相撲では何かすごく体をひねったり、顔が真っ赤になったり、指を押されて負けそうになっている時、苦しくなったりします。指を押さえられているだけで、そこに痛みも苦しみもなく、本当はそんなことはないはずなのに、そんな風に感じるという、体が勘違いしている状況みたいなものが面白いと思って描きました。

『smooth』は、逆に思わぬところで自分の体に起こっていた不快だとか、違和感みたいなものが不意に解消してしまうことに興味があり、描き始めた作品になります。ホルベイン・スカラシップの図録(第34回奨学生レポート「RECORD2022」電子ブック)でも書かせていただきましたが、男性用の下着を履いてめちゃめちゃ楽で快適なことに気付いたことがありました。

私は普段から男性の服を着ることが多く、男性の服を着ることには何ら違和感も抵抗感もないにもかかわらず、下着は何故か着たことがなかったなと思い着てみたら、すごく構造的に楽で、快適でした。

本来、 衣服は快適のために着ているものだと思いますが、 男性のシャツは着るのに下着はダメみたいな思考回路が邪魔をして自分の身体を解放させてない状況が興味深く、服装は自由である!という主張というより、 私たちにとって本質的に快適な身体だとか、 スムースな状態は一体何なのか、 ということをテーマに作品を描きました。

『温度の恩恵』は、人の間で行きかうコミュニケーションについての興味から描きました。基本的にコミュニケーションは誤読の連続でできていると考えているのですが、『温度の恩恵』は2人の人がぴったりくっついていて、温度を伝え合っている状態でいることを描いています。その温度自体には何の情報もなく、温度は温度でしかありません。36度8分だったら36度8分であるということでしかないですが、温度をわけられてしまった時、誰かの温度が伝わってしまった時に、そこには何か意味合いだとか価値だとかが、勝手に分けられてしまった側に生まれてしまうようなことや、そこに何か感情があってもなくても勝手にこちら側が解釈したりして、そのことで相手への許容範囲や、 愛着が増えたりしてしまうようなこと、これ自体は誤読によるもので、 もしかしたらその誤読によって何か大きな損害があるのかもしれないけれど、 その誤読は愛せる分類のものでもあるし、 コミュニケーションは本質的にそういうものでしかないのでは、 というようなことを考えて描きました。

『漂流』は、今回展示した中で一番分かりづらい作品にだと思いますが、服を着こんだ2人の人がただ横たわっているだけの絵になります。この絵を見た時、 二人がどんな関係であるのかは、あまりわかりません。何か気まずそうだなくらいにしか思えないけど、でも何となくこの状況や二人が感じている、お互いを行きかいしているものは少しセクシーだったり、ロマンティックな状況に、この瞬間を見せるかもしれないみたいな、外から見たら分からない、外から見た状況よりも複雑なものがすごく行き交いしている状況にすごく興味があります。

コミュニケーションをとる中で、 変な動きをしたり、 そのことで嫌な汗をかいてしまうことだとかはすごく不快で、できればそういうところのコントロールを完全にできたらどれだけいいだろうと思いますけど、結局そのコミュニケーションだとか関係性だとかは、そこでふいに発露されてしまったものでしかできあがらないし、成り立たないみたいなことを描けたら、それを見た人も描いている私も少し生きやすくなるのかなと思いながらと制作をしています。

山﨑 愛彦

(左から)『ベーグルとトラッグパッド』、『8da0b6 (Big grass)』、 『8da0b6(悪そうな木と星置)』、『A note about nesting (3)』

作品タイトルについて聞かれることがあるのですが、Twitter(X)やinstagramなど写真を投稿するSNSで使用しているID「8da0b6」をタイトルにつけています。SNSに一度投稿した画像を、ダウンロードし直して、その画像を素材に絵を描いていくということをしています。

カジュアルな写真をSNSに投稿して、見た人は「ああ、いいね」と思ってハートマークを押してくれるけど、次の日やさらに次の日になると「何あげてたかな」と振り返って見てくれるようなことがない。そういったカジュアルな写真への消費の速さに悲しくなることがあります。

もう一つ、むかし「前略プロフィール」というWebサイトがありましたが、2016年のサービス終了によってそこに投稿されていた画像が消えてしまいました。Twitter(X)やInstagramなどのSNSも会社がサービスを終了してしまうと、サーバーに残っている画像がなくなってしまう。そういったことから、会社やサービスにアーカイブを任せるということに頼りなさを感じてしまい、個人の周りの画像を集めてしっかりと保管していけるのは本人だけになると思い、その画像を三次元の物体として残る絵にする、というとてもシンプルな動機で制作をしています。 なので、ショッピングモールでみた観葉植物や、私の身近にある自分の過去作を入れ子として描いたりしています。

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私の作品にはこの画中画がよく出てきますが、入れ子状態というのは、2つの絵を引用した絵と引用された絵という関係にすることができます。2つの絵は引用によって繋がっているけど、物質的には繋がっていない。このような状態を、赤外線通信で繋がっているようなものだと感じています。

ここにある2つの作品『A note about nesting(3)』『8da0b6(悪そうな木と星置)』と画中画として登場している『室内装飾とテクスチャ』(2019年作)の3点が滋賀と東京を見えない線で繋いでいます。こうやって繋がった絵を大量に描いて世界中に送り出して、最終的にはメロンのネットみたいに地球を覆えたらいいなという壮大な野望があります。

一番左のA5サイズの小さい絵『ベーグルとトラッグパッド』は成果展搬入の朝に描き終えた作品で、これも一度SNSに投稿したベーグルの画像と、道端のプランターの植物と、トラッグパッドのストロークなどを描いています。これはUVインクで凹凸のあるプリントをして、その上から下地と同じ色の絵具をエブブラシで塗布するなどして、奥行きを作っています。