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アーティスト インタビュー vol.21「深田 桃子」

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次代を担うアーティストの背景、作品に対する思い、メッセージを伺い、その素顔に迫る「アーティストインタビュー」。
今回は今後ますます活躍が期待される作家で、第34回ホルベイン・スカラシップ奨学生の深田桃子さんに、ご自身のアトリエで話をうかがいました。

いい勘違い

―本日は、第34回期生の深田桃子さんのお話を伺おうと思います。
では早速、作品を描き始めたきっかけや、どのような作品描かれてきているのか、ご自身の体験の中でどのような形で絵を描くという生き方を歩み始めたか、お聞きできたらと思います。

父がずっと絵を描いている人だったので、その影響は大きいかもしれません。
職業作家ではないですが、仕事の時間以外は家でずっと絵を描いていたので、大人は絵を描くものだと勘違いしていたところもあります(笑)

―それはいい勘違いですね。既に生活の中にあったのですね。

そうですね。
ほとんど記憶がないような頃からギャラリーに連れて行かれたり、映画を見せられたり、もちろん子供向けのものにも付き合ってくれましたが、両親の見たいものに全部連れて行かれていました。
そんな環境もあって、なんとなく絵を描くことが好きだったのですが、中学1年生の時に父親に「絵が好きならちゃんと勉強すれば?」と言われ、遊びに行くぐらいの感覚で予備校に通い、絵を学び始めました。
本や漫画、絵を描くことに興味はありましたが、そのくらいから、ふんわりと自分の方向性が見えてきた感じです。

―それからずっと、大学受験まで通い続けていたのですか?

いえ。中学3年生くらいに一度辞めました。
美術系も音楽系もある、いわゆる総合高校を受験するため、普通の学習塾に通いました。
進路を幅広く選べる高校でしたが、1年生で進路を決めないといけないという雰囲気があり、周りの子が美術系の勉強をしている中、普通科を選んだら悔しくて死にたくなると思い、美術系の進路に決めました。
そこから美大受験を意識して、千葉の予備校に通い始めました。

―千葉にいたのですね

千葉は長いですが幼い時は岡山で、幼稚園の校外学習で見たエルグレコの「受胎告知」が人生で初めて好きになった絵でした。
未だにエルグレコを見ると懐かしいといいますか、特別な気持ちになります。

―お父さまが絵を描いてらしたという背景が繋がっているように感じられて、面白いですね。

私や兄弟が漫画の絵を真似して描いていると、父親が「横顔ってこうやって描くんだよ」とか、「右手で描くからこっち向きの横顔を描きやすいけど、こっち側の横顔を描けるように練習するんだ」とか、これ描いてみろ、あれを描いてみろと、たまに言われていました。

―深田さんのInstagramなどを見ると、一貫して「人」をモチーフとして、その人のある場面や心理、心情みたいなものを追い求めて描かれてきていると思いましたが、それは間違っていませんか?

いえ、その通りです。
小さい頃は、漫画やイラストを描くことが好きだったので、決まった矩形に絵画を描くことにあまり興味がありませんでした。
漫画には時間の推移があって伝わるものも多く、分かりやすくていいな、好きだなって思っていました。
中学、高校になると、「言いたいことはあるけれど、それを言ったら終わるかも」みたいな思春期独特の空気があって、絵の伝わらなさが都合いいなって思ったことがありました。
漫画や小説は自分が言いたいこと、描きたいことを全部入れられるけれど、逆に全部吐露する形になってしまうので、それよりは1枚ぼんっと投げて、私はすごく清々するけれども観る側は「これって何だろうね?」と思ってくれるくらいが、自分の出力としては調度いいなと。自分や自分の周りで起こったことで”気になること”を自分に近い視点で拾って描くときは絵画にすることが多いです。
矩形に絵を描く出発点がそこなので、周りで起こったことや見たもの、これって何だったのだろうかと思ったことを視点に「人」を描き続けています。

―人の動きに鋭敏なのですね。
人のコミュニティの残像感を感じていて、今、少し昭和チックな商店街にある深田さんのアトリエに訪問させていただいていますが、人間の営みにすごく興味がある方なのだと少し納得しました。

アトリエとしてしか使っていませんが、実はこの商店街の自治会に入っています(笑)
密な近所付き合いをしようとは思っていませんが、人と関わったり、何か新しい関係性を構築したりしていかないと絵が止まるので、すごく人見知りではありますが、絵を描くために人とゆるく繋がろうと思っています。

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存在する境界線

―話を戻しますが、影響受けた作品にエルグレコの「受胎告知」以外に、影響を受けた作家、または作品はありますか?

5歳ぐらいに好きになった作品が、先ほど話したエルグレコの「受胎告知」になります。
中学生くらいにすごく好きだった作家はムンクです。ムンクの「叫び」のような代表作ではなく、自画像シリーズが好きでした。煙草を持っている自画像や、家の中の時計とベッドの間にいる自画像など、たたずまいが痛々しい感じが思春期の時にすごく刺さりましたね。ボードレールの「悪の華」の表紙がムンクの「マドンナ」で、それがとてもかっこいいと思ったり…。
高校に上がるくらいの時に、この人のように絵を描けるようになれと、父親から町田久美さんの画集をもらったのですが、その方の絵が本当に格好良くて憧れています。
画集で見たホックニーの「ビバリーヒルズでシャワーを浴びる男」などの人物の仕草や、体がぐぎっとした表現がすごく好きで、影響を受けたなと思います。

―ムンクもホックニーもそうですけど、やはり人物ですね。

その人物が自分であっても他者であっても、内省が混じっているような空気に惹かれます。
ホックニーのドローイングで寝ている人を描いた絵なのですが、その寝ている人自体というよりは、対象に向ける目線とか温度感とか匂いっぽいものが伝わる感じがすごく好きでした。ただ寝ているだけ、立っているだけが描かれているのに、それだけでレイヤーを深く感じられて、そういうものを描きたいなと思いました。

―深田さんの過去の作品を拝見すると、ペンや鉛筆でドローイングされた人物画がたくさんありましたが、線に対してすごくエクササイズしていて、武器になるように仕上げているように見受けられました。スカラシップをきっかけにアクリル絵具と出会って、モノクロからカラーに絵は変わりましたが、やはり線の絵だなと思いました。

輪郭線がすごく好きなんですよね。

―といいますと?

例えば、漫画は輪郭線で人物を表現されていることが多いですが、美術の授業では、輪郭線はないから輪郭線をとらないように絵を描きましょうって言われますよね。でも、輪郭線はあるだろ!って思うんですね。
自分が形を認識する時は、面だとか回り込みだとか意味はわかるけれど、物を見たり、触れたり、感じたりする時の私の体感としては、確実に輪郭線は存在しているから、「目に見えないから輪郭線はない」っていう話はおかしいじゃないかってすごく思っています。

―もうそれは…哲学ですね。

構造上でいったら確かに面と面があって、回り込みがあって、実際に黒い線もないけれども、私の感覚的には形を捉えた時に輪郭線は必ずあって、誰かに触られる時、何か触れている時、触れている点が繋がっているような感覚に陥るみたいなことの方が、リアリティが高いなと。そんなことがビジュアル化できた方が楽しいと思っています。

―それはモノとモノの境目を表現する時は、感覚的に線で捉える方が正しいのではないかということですか?

そうですね。

―レオナルドは「線は見えない」と言っていて、それは彼のスタンスが科学者的で、あの時代の中では珍しく唯物論者だからですね。対してムンクは観念的なものの見方をしていて、どちらが正しい、間違っているではなく、深田さんはそれをメタ視点で測りながら制作に臨まれているように思いました。

実際にどうとか理屈がどうというよりは、そちら側に寄せたいですね。
文学脳に寄るとふんわり優しいものや、妙に湿度が出て温かい感じになってしまい、それは好みではないので、絵の筆致としてはすごくドライで、湿度をそぎ落とすようにしています。

―うまく言えないですが、今まで描かれていない狭間を抉られておられるように思いました。

昔、担当の先生に、「深田さんは絵に描きづらいことをずっと描こうとしてて、それが上手くやれてるとは思わないし、正直下手くそなんだけど、できなそうなことを頑張ってくれてるからいいと思う」って言われて、それ褒めているのかなって(笑)

―指導者としてはすごく褒めていますよ!
人が描かないようなことを描こうとするのは、とても素晴らしいことだと思います。

確かに、私の興味があることってすごくミニマムで、ささやかで分かりづらいので、絵になりづらい!って自分でも思いながら描いています(笑)
たまたまグラフィカルな要素も自分の中にあったので、その面で絵にしやすくなりましたが、興味があることは絵になりづらいことばかりで、どうやったら絵になるかな、もしくはならなくてもいいのかな、と悩みながらずっと描いています。

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主観を作品に落とし込むこと

―深田さんの作品には人物が2人描かれている作品が多いですね。やはり関係性ですか。

そうですね。
例えば昔描いた絵で、同じ身長の女の二人が足を踏みあっているところを描きました。
私の中ではその2人の親密さを描くとき足を踏みあっているのは、攻撃でもあり、同時に愛撫でもあることを描きたかったんです。外から見た時「足を踏むこと」は暴力だけど、二人だけのクローズな世界で観た時、それは実は愛だったりして、そういうことが気持ち悪くて面白くて。
伝わらないけど、そういう瞬間が好きだって、自分の世界を描いて満足しています。

―例えば印象派がそうでしたけれど、画家の印象(=主観)で描いたものの中に共感性が生まれ、それが後に普遍的になっていくということがありました。これから共感できる人が増えていくとその表現がより尖がっていくと思うので、そうなってほしいですね。

また親の話になってしまうのですが、大学芸祭で、私が偉い先生に講評を受けているところを見に来たんですよ。
その先生がある生徒の講評をした時に、「自分の痛いとか、痒いとかばかりを絵にしちゃだめだ」といったことを仰っていました。それは確かに正しいですし、学生の絵は主観的・内省的になりやすいから、自分を突き放した表現を追求した方がいいという意味だと思うのですが、父親がそれを聞いて、「痛いとかか痒いとかなくて絵なんか描くかよ!」ってバチギレしていまして(笑)

―(笑)

そこまで怒らなくてもとは思いましたが、同時に、そりゃそうだろう、とも思いました。
自分に痛いとか痒いとかがないのに、絵を描くなんて意味はないなと。
自分の痛いとか痒いとかを基本的に描いちゃいますし、どなたかが言ったことではありますが、自分のために描いていたものが人のための薬になる瞬間がある、という話を聞いて、私と同じような人が5千人くらいいるとして、私の苦しいことや嬉しいことを自分のために描いた時、その5千人には薬になるのではないかと思うことがあって、私が自分の痛いとか痒いとかを描いても5千人は観てくれると思って、今はそういうことばかりを描いています。

―立場上、大学の先生ともご縁があってお話しする機会がしばしばあったからですが、ある時、「学生が社会の出来事や作品成立の文脈などに興味が薄く、内省的に自分の癒しのためだけに作品を描いている子が多くて困る」とおっしゃって悩まれていました。
もちろん表現は自由ではありますが、他者が介入しない自分だけの世界を作りやすくなっている世界だから、それを危惧して仰ってたんですね。でも、お父様のバチギレもよくわかります(笑)

ははは(笑)
確かに先生が言っていることも正しいと思います。
自分のすごくミニマムな話が査定にかからないまま作品になるのは、自分をそのまま吐露する感じで好きではなくて、冷静な自分と感情的な自分が会議を終えてから出したいですね。

―深田さんの中には常にメタ視点があるのですね。

そうかもしれないです。
私はすごく嬉しかったけど、平均化したらそこまで嬉しいことじゃないかもしれないとか、私はこの出来事にすごく怒っているけれど社会的な視点からしたらはそんな怒ることじゃないかもしれないとか、両方の視点がありつつ、ものができていくことがルートとして正しいと思っていて、自分の痛いところ、ダメなところを突かないで、自分の気持ちいいものだけを描くことをしないようにしています。

―話は変わってしまいますが、画家は何かを絵具に託すものだと思っていますが、深田さんにとって絵具とは何でしょうか?

敢えて答えますと、絵具は「手段」だと思います。
絵の表面をフラットにきれいに仕上げたり、色の組み合わせを考えたり、画材について考えることは好きですが、自分がやりたいことの目的と手段を入れ替えてはいけないと思っています。
スカラシップweb図録にも書いていますが、スカラシップに応募した時、そこが逆転してしまったんですね。
私の目的は私が描きたいものを描きたいように表現することだったはずなのに、絵具の堅牢さや力強さなどが主張し始めて、画面のためにテーマや画材がある状態になってしまい、なんで絵を描いているのか分からなくなってしまいました。目的と手段を自分にとって正しい位置に戻そうと考えた時期に、ちょうどスカラシップ奨学生になりました。
奨学期間が終わって2年経ちますが、絵具を使う時は自然と頭の中に方程式が出てきて、手足のように扱えて、誰かに絵具の使い方を聞かれたら答えられるようになってきて、自分の画面に対する拘りに自信もついてきました。でも、そこが過剰になってしまうと昔のようにまた逆転してしまう。
だからあえて突き放して、絵具はただの「手段」。
アナログ絵だけでなく、デジタル絵や映像などいろいろな表現方法がある中、私にたまたま合って必要だったものが絵具であったというだけです。

―たしかに、絵具が語りだしてしまうことはありますね。
先ほどデジタルという単語が出てきましたが、作品を見るとデジタルで描くことも可能なのかなと思いましたが、どうでしょうか?

それはすごく思いますね。
Instagramに作品を挙げると、デジタルですか?って聞かれます。
そう見える絵ですけど、意外と画面上でぐちゃぐちゃと描いているんですよね。
絵具の組成的なことを考えると、あまりやってはいけないとは思いますが、途中ですごくヤスリがけをしたり、削ったりするのですが、そういった物理的な部分での格闘が、最終的に何か形にする時に必要だし、そのやり方が自分の思考回路と合っているように思います。
Instagramで見るとフラットで綺麗な画面に見えますが、実物を見たら思ったより表面が粗かったり、重かったり、物質感がわりとあることを感じてもらいたいです。

―粗い、というかノイズが心地いいのだと思います。

デジタルで観た時と、実際に観た時の絵の佇まいが違う状態も好ましく思っています。
Instagramやホームページに作品画像を載せているので、表面的なことはもちろん実物を見なくともわかりますが、佇まいも含めて作品と考えているところもあるので、作品が物質であることに意味があると今は思っています。
実は、絵具を使うことがすごく苦手なのですが、手に邪魔な要素がないと、何でもないものができあがってしまうので、自分のことを邪魔してくれるものとして絵具が合っているところがあります。
ドローイングがすごく好きで、本当は鉛筆やペンで作品を描けたら一番楽なのですが、それでは自分が欲しい形にはならなくて、苦手だけど絵具で描いた方が完成するんですね。ちょっと儀式っぽいですね。

―絵具を使うことで、100%コントロールできない部分ができると思いますが、そこに心地よさがあったりするのでしょうか?こんな風になっちゃったとか。

「なっちゃった」は、あまり好きではないですね。
自分が想定したものにできるだけ納めようと努力はします。それでもどうにもならないことみたいなことはありますが。

―でも、その中に新たな発見があったりしないのでしょうか?

ありますね。
絵を描いている時ではなく、たまに他の手段での制作(立体や木版画など)をした時に、思った形にできないけどこの形いいよね、ってなることがあります。
これは趣味性に近いですが、手が言うことを利かないことで、導かれたように面白いものに出会うことがあるので、アナログが単純に好きです。
そういったものがフィードバックされて、絵画に良い影響を与えていると思います。

経験を通して

―制作活動について過去にやってよかったこと、またはやった方が良かったなと思うことがもしありましたら。

学生の頃、大学関係でインドネシアや、ギャラリーの縁でロサンゼルスで展示をさせてもらうことがあり、その時に実際に「私の絵が誰かの薬になる」という経験をしました。
展示に来たある学生が、私の作品を観て自分の状況を感じて泣いてしまったと、この絵に出会えてよかったと言ってくれまして。
絵を描く理由が自分の中にしかなかったですが、私の絵に出会えてよかったと言ってくれる人がいてくれるのであれば義務でもあるなと、描かなきゃいけないなと、すごく励まされました。
自分の範疇にない場所で飾ったら、そういった経験をして、東京で展示することに固執しなくてもいいと思えるようになったので、いろんなところで絵を飾る経験をしてよかったなと思いました。
あと、絵の読み解きが日本とは異なっていて、日本では読み解かれにくかったことが、海外ではすんなり読み取ってくれることがあり、地域や場所によって読み解き方が違う経験ができたことも良かったです。

―5千分の1に出会ったのですね。

なので、たくさん展示をして、もっと出会えたら嬉しいなと思います。

―最後の質問ですが、今後どのように活動していこうとしているか教えてください。

テーマや描き方については、大きく変ようとは思っていないです。
描ければどこでもいいのですが、人や場所の関係性によって作品が変わっていくタイプなので、レジデンスに挑戦したり、活動場所を変えたり、今まで属していないコミュニティに入ったり、新しい関係性を積極的に受け入れて、作品の変化を楽しめるようにし続けたいと思います。

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プロフィール

深田 桃子
FUKADA Momoko

1996年
神奈川県出身
2015年
武蔵野美術大学 造形学部油絵学科 油絵専攻 卒業
2021年
武蔵野美術大学 大学院 修士課程造形研究科 美術専攻油絵コース 卒業

個展

2025年
「透明≠不存在」Gallery b. Tokyo(東京)
2023年
「吹けばとぶ。」工房親(東京)
2022年
「遠くに見えた」ultra super new gallery(東京)
2020年
「OUTLINE」Quadrivium Ostium(東京)
2019年
「夢を見ながら目を開け」QGallery b. Tokyo(東京)

グループ展

2025年
「ホルベイン・スカラシップ展2025」ホルベイン アートスペース(大阪)
2024年
「HOLBEIN ART FAIR 2024」+Art Gallery(東京)
「WHAT CAFE EXHIBITION vol.37:Canvas of a Narrative」WHAT CAFÉ(東京)
2023年
「ホルベイン・スカラシップ成果展2023」N&A Art SITE(東京)
2022年
「素晴らしき朝がきた。」工房親(東京)
2021年
「HOLBEIN ART FAIR 2021」渋谷スクランブルスクエア内+Art Gallery(東京)
2019年
「Irrational memographies」カルフォルニア大学サンタバーバラ校(米国)
「Points of depercheres」日米文化会館(米国)
「積層-8人のアーティストブック」武蔵野美術大学図書館(東京)
2018年
「深田桃子+鹿島理佳子『羽衣』(アタミアートウィーク2018)」スターレーン(静岡)
2017年
「深田桃子+鹿島理佳子 ライナスの毛布」カミカワハウス(東京)

受賞歴他

2023年
CHARM CARE CORPORATION 第20回アートギャラリーホーム展 日建ハウジングシステム賞受賞
2022年
CHARM CARE CORPORATION 第19回アートギャラリーホーム展 指定コンペ部門入選
2021年
第34回ホルベイン・スカラシップ奨学生
第6回宮本三郎デッサン大賞 明日の表現を拓く 入選
2018年
第41回三菱アートゲート チャリティーオークション 入選
2017年
トーキョーワンダーシード2017 入選
2016年
トーキョーワンダーシード2016 入選

■前回の「アーティスト インタビュー」記事はこちら!

アーティスト インタビュー vol.20

■「アーティスト インタビュー」記事一覧はこちら!

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