アーティスト インタビュー vol.15「堀 至以」
次代を担うアーティストの背景、作品に対する思い、メッセージを伺い、その素顔に迫る「アーティストインタビュー」。
Vol.12からは第35回ホルベイン・スカラシップに選ばれた奨学生のインタビューをお届けしています。
その第4回目は、さまざまな活動をされる、堀至以さんにお話をうかがいました。
絵画とドローイング
―堀さんはいつ頃から絵を描き始めましたか?
「絵描き」という職業があるのを知ったのが、保育園の5歳くらいの頃です。父が画家だったことがきっかけでした。
漠然と、大きくなったらサラリーマンになるのかなぁって思っていたのですが、絵を描くだけで生きる人たちがいることを知って、楽そう、っていうのもちょっと言い方が悪いですが、絵を描くだけで生きられるならいいなと思って。絵はすごく得意というわけではなかったです。結構不純な動機から絵描きを志していたなと思います。
―絵描きになろうと思って、そこからどのようにその道に入っていきましたか?
それとも既に描くことは生活の中にあったのでしょうか?
父のアトリエは自宅から少し離れた古民家だったので、毎日絵を描く父の姿を見ていたという訳ではなかったですが、ある日、父に絵描きになりたいと言ったら「じゃあ、絵画教室に来い」と。
父が先生をやっている絵画教室がちょうど保育園の隣にあったので、毎週木曜は保育園が終わったら絵画教室に通っていました。
週1ですけど、習慣的に絵を描くようになったのはその頃からですね。
―それからずっと絵を描かれていた?
そうですね。毎週絵画教室に行っていました。
いろんなことをやる絵画教室で、卵の殻でコラージュしたり、粘土でマラカスを作ったり、工作をしたり、絵を描く以外の制作も幅広く経験しました。
いま、絵がメインの制作ではありますが、立体作品の制作もおこなうのは絵画教室由来なのだろうと思います。
―成長するにつれてやりたいことや、これからの人生など、おそらくいろいろ考えられたと思いますが、その中でどうして画家を目指すようになったのでしょうか?
絵描きになると幼少期に決めて、なるものだと思ってずっと過ごしてきました。
美術科がある高校に進学して、日本画と油絵と彫刻をひと通りローテーションで勉強できるところだったので、そこで改めて絵が描きたいのか、工作も好きだったから立体を作りたいのかなど悩みました。
高校3年の時は油絵を専攻して卒業制作を描きましたが、大学受験を前に専攻をどうするかでまた迷って、油画専攻以外にデザイン専攻も考えていました。
ただ、デザインを専攻して何ができるかっていう想定も、これまでの体験の延長線のイメージでしかなくて、いろんな素材の扱い方を学べることを期待していたので、いわゆるデザイナーになりたいみたいな一般的な動機からは少しズレいていたように思います。
いずれにしても絵なり立体なり、ものを作りたい気持ちはベースにありました。
―選択肢がたくさんあったのですね
何がやりたいのかは大学に入ってからもずっと迷っていました。
何かを作りたい、作家になりたいという気持ちはありましたけど、じゃあ何を作る人になろうって思ったときにあまり方向性が定まらなかったのと、元々絵が得意で絵描きを志したわけではなかったのでいざ実際に絵描きになりたいなと思って油絵を描いている先輩や友人の作品を見ると、自分よりもっと上手いんですよね。
―確かに、上手い人はかなりいますね
絵を描くことが向いているか向いてないかで言えば、向いてないのだなと思いました。
幼少期に絵描きになろうと決めたこととどう向き合おうかと思いつつ、絵画についての知識が増えると描くこと自体も楽しめなくなっていきました。
絵よりも工作の方がイメージを形にしていく手応えがあって、たとえば手を作ろうとした場合に、まだ小指がないから小指を作ろうとか、ものがそこにあるかないかっていう判断が立体制作の方がわかりやすいなと感じていました。
二次元の絵画ではあるかないかの振り幅が広く思えて、写実的な手から抽象寄りの手まで、その振り幅がありすぎて、対象を描いて再現することの実感がうまく得られずにいました。
―ご自身のことをすごく分析されていますが、でもやはり絵画を選ばれたのですね
何かを表現しようとなったとき、油画専攻が一番間口が広くて、いろんなことができるだろうなと。
いま迷っていることを保留にしたまま美術が学べると思って、油画専攻に進学しました。でも、やっぱり絵は難しいってことがどんどん分かっていきました。
いまも絵を描き続けている一番大きなきっかけは大学3年生の頃にあって、当時金沢の美大に通っていたのですが、美大が町中にギャラリーを持っていて、そのギャラリーの展示設営を手伝ったときです。
展示に合わせて金沢に来ていた作家さんやギャラリーの方に立体作品を見てもらったら「しょぼいわぁ」って言われて(笑)
―厳しいですね(笑)
せっかくだしと思って落書きも見てもらったら、落書きはおもしろいって言われました。
落書きだと思って描いたものに対して、これは絵画じゃないかと言ってもらって、すごい気が楽になったのを覚えています。
自分としては工作が得意で、絵は全然うまくいかないみたいな気持ちがあったので、その価値観とは全く違うことを言われて、これが絵画ということならば、どんどん描けるなと思えました。
―奨学期間中に提出いただいているレポートにも記載されていましたが、真っ白の画面に描くことに抵抗を感じていた頃、落書きも絵だということを見出したきっかけが今のお話ですね
そうですね。
―スカラシップ応募時に提出されたポートフォリオを拝見しましたが、ドローイング作品の色鮮やかさと構図に衝撃を受けました
ドローイングの定義も作家によって様々だと思いますが、一枚一枚に時間がかかる方なのかもしれません。
―ドローイングの際、色鉛筆やインク、その他いろいろなものを使われていると伺いましたが、どのようにそれを選ばれていますか?
画材がたくさんあった方が、自分が描いていて飽きずに済むので、空き箱にいろんな描画材料をまとめて入れています。
制作している画面に対して画材を選ぶこともあれば新しく買ったからとか、最近使ってないからとか、たまたま手に取ったからとか、偶然性にも委ねつつ画材を選ぶこともあります。
―質感も、ちょっと意識しながら選ばれるのでしょうか?
マジックから色鉛筆に切り替えるときなんかはそうですね。次に何をのせようかなみたいなとき。マジックだとフィキサチフをかけて滲ませたり、そのあとに修正ペンをのせたり。
ドローイングをはじめた頃は無頓着に描き進めていましたが、枚数を描き溜めるにしたがって習得されたドローイングの技術を気にしながらやっているところもあると思います。
―即興性の高いドローイングとじっくり取り組む油絵に姿勢の差というものが、かなりあるように感じました
ドローイングとペインティングの違いは油絵を描き続けているモチベーションのひとつとして大きいですね。油絵は乾燥が遅かったり、画面が大きかったり、線を長く引くにも筆では難しかったり。
ドローイングのときにできていた制作が油絵ではできなくなるから、そこに工夫のしがいを感じています。
油絵でどう線が引けるかなとか、乾きにくさが面白さとしてどう取り込めるかなとか。ドローイングでできたことが油絵でできないのはずっとフラストレーションになっていたのですが、ここ数年のあいだにドローイングと油絵で同じことを求めないでいいのだという気持ちになれました。
油絵の構造 新たな気づき
―奨学期間中に提出してもらうレポートの中に、スプレー缶などの空気圧で描かれているとの記載がありましたが、なぜ空気圧に行きついたのですか?
油絵具って基本的に重ねて描いていくものですが、奥から手前に足し算されていくように作られる画面の構造が単調に思えてきて、その打開策として、引っかいたり、削ったり、ヤスリをかけたりといったことを描画方法としておこなっていました。その流れで空気圧も描画材料として扱うようになりました。グラフィティに代表されるようなスプレー缶による描画がもともと好きだったこともあります。
空気だけで描画ができるっていう点もおもしろいと感じます。
―エアブラシも使っていますか?
エアブラシも使っています。
ただ、マスクをつけず油絵具を吹いていたため体調を崩しまして、以後マスクはするようにしています…。
エアブラシで引ける線は筆のようなタッチがうまれないところが面白くて、完成間際、仕上げのもうひと仕事したいなっていうときに欲しくなります。
ただ健康の方が大事なので、最近はちょっと躊躇しますね。
―エアブラシをする時は、換気も必須ですね
第34回ホルベイン・スカラシップ奨学生の方々の成果展で皆様にお集まりいただいた際も、油絵具とエアブラシのお話になりまして、皆さん興味を持たれていて関心が高いように感じました
そうなんですね!
確かにおもしろいですよね。
―もしかしたら、これからのトレンドになるんじゃないかなと
そんな画材が開発されたら、おもしろそうですね。
―油絵具の粒子が大きいからなのか、ノズルが詰まって悩んでいるといった話もありましたが、堀さんはどうでしたか?
粒子の詰まりで困ったことはないですね。
―ぺトロールかターペンタインで希釈しているのですか?
そうですね。ものすごくゆるく溶いています。ゆるくしすぎているのかもしれないけれど。
染料系の絵具をゆるく溶いて使っていて、あまり根詰まりみたいな問題は起こってないです。
それよりやはり気になるのは健康の方ですね。
―成果展で集まって話し合った時は、最終的にスプレーの口径が太くて、エアーの力が強ければできるというところで落ち着きました
話を戻しますが、空気圧と、これもレポートに記載がありましたが、描くにあたり「粒子」というものにも行きつくまでのお話をもう少し詳しく聞かせてください
「粒子」というものを意識する前に、絵画の構造についてよく考えていました。
例え話になりますけど、一層目に黄色をのせて、二層目に赤色を重ねて、三層目にまた黄色で塗ると、奥と手前の黄色で間の赤色がサンドイッチされる。すると、描画プロセスがちょっと分かりにくくなる。どこからが最初に塗った黄色で、どこまでが最後に塗った黄色かっていうのが、間にある赤色を通してしか見えてこない。
空気圧を使うこともそうですけど、基本的に油絵具はレイヤー構造になっていくので、レイヤー構造をはぐらかして画面構造が作れたらいいなってことを考えていました。
コロナ禍だったとき、室内で何かするにも難しく、友達と登山に行くことにしました。
そのときに見た風景と、絵画の画面構造を重ねて考えて「粒子」が気になる要素になりましたね。
『RECORD 2023』にも書いていますが、山を登ったとき、遠くの方に雲があって、近くに霧が出ていて、その境界線が曖昧なことがおもしろく感じました。奥にある灰色も手前にある灰色も基本的には水の粒子なんだってことを思ったときに、粒子について調べると「コロイド粒子」という単語が出てきました。
牛乳はコロイド溶液と言われて濁っているのは粒子が内包されているからで、牛乳がコロイド溶液に該当するなら絵具もそうかとわかりました。自分が描く絵画も霧や雲も粒子の集合によって可視化されている、気づきとしては素朴なものですが、「粒子」を手掛かりに絵画と風景が繋がっていくことが面白いと感じました。
アトリエで描きかけの絵と対峙する淡々としたコミュニケーションから絵画を制作することに閉塞感を感じていて、どうしたら絵画が外に広がりを持つのかなということを求めていました。
自分が絵画の中でやっていることを外と関係付けたいみたいな欲求がここ2、3年あり、作品を介してのコミュニケーションがどうしたらより豊かになるかと思ったときの糸口として、登山で見た風景やそこで見出した粒子という要素が自作と外部との橋渡しをしてくれるのではと思い、じゃあ粒子っていうのをちょっと覚えておこうとなりました。
―(私の)感覚的なものになってしまいますが、粒子=点と考えて、異なるものの中にある似た点と点が繋がって、違うモノなのに一体感があるようなことを画面に落とし込もうとされているのかなと思いました
人の中や生活の中、絵の中、景色の中、いろいろなものの中にある共通点を繋げて、絵を観ている方に共感を見出したいのかなと
なるほど、そうですね。僕は点を結んで形を作って、みたいな星座っぽい考え方でしたね。
自分の制作をいろんな例え方をしていますが、そのひとつに星座を考えることもあって、惑星や星を空の中に光る点として認識する場合と、宇宙の中に浮いているでっかい星として認識する場合で、同じ星だけど全然見え方が変わってくる。
背景を何とするかによって大きい惑星になったり、小さい点になったりする認識の振り幅自体を絵画の中に空間として描けると一番良いなって。地と図も関係なく混在させて、惑星としても小さく光っている点の星としても認識できるみたいな、そういう複数の空間がひとつの画面に織り交ぜられたらというのがあります。
環境による色の変化
―ドローイングとは異なり、油絵になるとトーンダウンされた作品が多いのは何故でしょうか?
金沢に居たことがきっかけでグレーが自分の中でキーカラーになっていると伺いました。
一番にあるのは、乾くのを待たずに手をつけちゃうせいで濁っていっちゃうから(笑)
逆に言えばドローイングがあまり濁れないみたいな。どっちでもいいということではないけど、濁ってもいいとも思っていて、濁っていてもそんなに問題はないです。色鮮やかできれいっていうことで絵画として満足されると、別の見てほしいところまでたどり着いてくれないような気もします。
高校生の頃に見た山口薫の図録で、うろ覚えですけど、「汚いけど、ちょっと綺麗なのが美術だ」っていう言葉があって、美術って「美しい術」と書きはするけれど、ちょっと汚いくらいの方がいいみたいなことを言っている絵描きもいる。おそらくそういうところの影響もあって、特別色鮮やかで綺麗であることに対するモチベーションがあまりないのだと思います。
特に油絵になると、生乾きの状態で筆を動かすときって、そのときに出せるマチエールだったり、動きだったり、油絵特有の画面上で筆が滑っていく感じが「画面が濁る」かどうかはともかくとして、筆が動いているっていう痕跡が残せる方が自分にとっては大事でした。
でも、ドローイングと油絵の両方を見せると、油絵は色鮮やかじゃないってよく言われるので、金沢の空が鉛色だったせいなんじゃないのかって(笑)
―光のイメージが近いですよね
そうですね。毎日曇っていて。
愛知とかもっと光がキラキラしている場所に長く住んだら変わるんじゃないのかなっていうことも思ったんですけど、ただそういう環境による絵の変化を実感する前に愛知から秋田にまた引っ越してしまったので。
―太平洋から、また日本海の方に
戻っちゃって(笑)
やっぱり色に対する憧れはあるにはあって、クレーがチュニジア旅行を通して色を捉えたとか、環境の変化を通して色というものを再認識できたみたいな話もあったり、絵描きって光を求めて土地を移ったりして、環境の変化によって絵が変わったりすることがあるから、いつ自分の絵にも起きるのか楽しみにしていましたが、そういう変化はあまりありませんでした。
でも、ホルベイン・スカラシップで絵具をもらったことで、すごくたくさんの色を使えるみたいな、それだけでできることが増えたという変化はありました。クレーとは違う変化でしたね(笑)
―環境ではなく、物量による影響の方が強かった
そうですね。たしかにドローイングを描いているときでも、やっぱり手に取れるものの範囲で絵の方向性も広がるから、そうなりますよね。
でも絵具が増えても油絵は濁っていったから、色がたくさんあっても濁るは濁るんだなと(笑)
むしろたくさんの色を扱うって難しいなぁと思いました。
馴染みがない色を急に自分の手足として扱うことって簡単ではないし、24色セットとかのレベルじゃない、すごくたくさんの色数があるから、そこからじゃあどんな色を使うのか、選ぶことも含めて色について考えるにあたり、絵具の原材料のことをもっとちゃんと考えてみようとなりました。
スカラシップをきっかけに原材料についてかなり関心度が増しました。
―今まで選ばなかったような色を使ってみてどうでしたか?
透明シリーズはすごく面白かったですね。
画面がまだ白いときに薄く溶いて使っていて、少し乗せてみるだけでも変わった鮮やかさや特有のツヤがあって綺麗でした。それこそグレーにしちゃいけないなと思って、できるだけそこはつぶさないようにしていました。
―スカラシップが話に出てきましたが、スカラシップに応募しようとしたきっかけは?
2、3回くらい出しましたが、最初に知ったのは大学の先輩が奨学生になったときですね。たしか僕が学部1年の頃に、大学院の2年の先輩が認定を受けていました。
その翌年、他の先輩も奨学生に選ばれていて、まだその頃は絵具が貰えるコンペがあるんだ、くらいの認識でした。
2015年に友人の作家が何人か選ばれていて、そこからとても身近に感じましたね。
ちょっと上の活躍している先輩が選ばれているなってくらいだったのが、「あれっ?友達も選ばれてる!?」って。
あとは、今回審査員をされた今井俊介さんがSNSで社会人になってからスカラシップ奨学生になって、絵具を貰えて本当に助かったみたいな話を何度か読んだこともありました。
実際、社会人になってみると、いろいろ金銭面で困ることもあったので応募しました。
―自分の周りで奨学生になった人が複数いたというのは、なかなか珍しいですね
そうですね。愛知でスタジオをシェアしていた作家2人が同時にもらっていました(笑)
―すごい(笑)
倍率で考えればそんなに知り合いが選ばれるものでもないけど、よい制作を続けていれば選ばれるのだろうって、それがすごいモチベーションになりました。
―ホルベイン・スカラシップ以外にも何かコンペに応募とされたことはありますか?
学生の頃に入選したコンペでアクリル絵具をもらいました。あとは作品1点で審査されるものからファイルで審査されるものまでいろいろ応募していますね。
―ホルベイン・スカラシップをどのように思われていますか?
作品を出品できるとか展覧会ができるとか、いろんな種類のコンペがありますが、ホルベイン・スカラシップで奨学生に選ばれたのは1点1点作品が評価されたというより、作家として自分が評価されたっていう感覚に近いので、特有の嬉しさがあります。
社会に出ると、人によっては絵を描くことが道楽に思われることだったりするので、これからどうやって続けていこうかなっていうときに、画材メーカーが絵具を提供してくれていることって、自分の制作を続けていこうっていう背中を押される気持ちになるので、有難いし、頑張ろうって真面目になれるものだと思います。
プロフィール
堀 至以
HORI Chikai
個展
グループ展
受賞
パブリックコレクション
HP http://horichikai.web.fc2.com/
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